時制の一致という不合理2

時制の一致という不合理2

前項(「時制の一致という不合理1」)で挙げた「時制の一致」に関する「例外」を、「時制は現在を基準に決められる」というシンプルな理屈を用いて解決していきます。

 

 

例外1:「不変の真理を表す場合は時制の一致は起こらない。」

 

We learned that water boils at 100℃.

 

→「私たちが学んだ」のは現在から見て過去のことだから過去形、「水が100度で沸騰する」のは現在から見て当然今もそうだから現在形が使われる。それだけの話です。

 

「5年前は水は100度で沸騰したけれど現在は50度で沸騰する。5年後には30度で沸騰するようになる」、なんてことはありませんね。いつでも水は100度で沸騰します。だから現在から見て「いつものこと」を表す現在形を使うのです。

 

※現在形については別記事「意外と難しい!英語の「現在形」を簡単な言葉で指導する」をご覧ください。

 

例外2:「現在も繰り返し行われている状態・動作の場合は時制の一致は起こらない」

 

She said that she goes jogging every morning.

 

→例外1と同じです。「彼女が言った」のは現在から見て過去のことだから過去形、「彼女が毎朝ジョギングをしに行く」のは現在から見て「いつものこと」だから現在形を用いて表しているだけです。

 

例外3:「歴史上の事実を表す場合は時制の一致は起こらない」

 

Our teacher said that Mozart was born in 1756.

 

→「先生が言った」のは現在から見て過去のことだから過去形、「モーツアルトが1756年に生まれた」のも現在から見て過去のことだから過去形を用いて表します。

 

これについて、「モーツアルトが生まれた」のは「先生が言った」ことよりも前のことだから、過去完了形が使われるべきだと言う人がいます。(そう考えるのが正しい時制の一致だと思い込んでしまっているからこれが『例外』扱いされるわけです)が、二つの過去が並ぶ時、より遠い方の過去に過去完了形を用いるというのは義務ではありません。

 

過去完了形が用いられるのは、二つの過去が時間的に近く、その前後関係を示さないと誤解を招くような場合や、二つの過去の間で意味的に両者の結びつきが強い場合に限られます

 

だから歴史上の出来事のように、二つの過去の出来事が時間的に遠く、意味的にも互いの繋がりが希薄な場合、どちらも個別に「現在から見て過去だから過去形」で表現して全く問題ありません。むしろそれが英語です。

 

例外4:「仮定法が用いられる場合は時制の一致は起こらない」

 

He said that if he were a bird, he could fly.

 

そもそも仮定法に時制は存在しません。仮定法過去は「現在における事実に反する仮定とそのことへの気持ち」であり、仮定法過去完了は「現在から見た過去の事実に反する仮定とそのことへの気持ち」を述べるものです。両者の持つ過去形や過去完了形は「非現実性」を表す意図が中心にあり、したがってその形が時制を伴うものではないため、「時制の一致」の項目で扱うこと自体が本来はおかしなことなのです。

 

この例文では、「彼が言った」のは現在から見て過去のことだから過去形、「鳥であれば飛ぶことができるのになあ」と仮定し思いを馳せているのは現在から見て現在の気持ちであるために仮定法過去が用いられている、ということです。

 

このように、「時制の一致」をルール化してしまったがために生じたあらゆる例外は、「時制は現在を基準に決められる」というたった一つの理屈を当てはめてやるだけで全て氷解します

 

 

ある参考書を例に数えてみたのですが、もし「時制の一致」を「正しいルール」であるとすれば、全体の約60%の文章が例外というとんでもないことになってしまい、ルールに当てはまる文章の方が例外よりも少ないという異常なことになってしまいます。

 

それこそが「時制の一致」の抱える最大の欠陥であり、そこを「おかしい」と突っ込っこみたくなる気持ちは当然のことではないでしょうか。

 

そして、たった一つの本質的理解があれば、その欠陥は修復することができることを知ってください。

 

これが最も大切なことなのです。

 

 

英語と日本語の時制認識の違い

 

余談ですが、英語と日本語の間における時制の認識は極端に異なります。

 

ここまで述べてきたように、英語の時制は単純な理屈によって決められますが、一方で日本語の場合、時制がないとすら言われることもあるほど複雑です。

 

例えば日本語の物語で次のようなシーンがあるとします。

 

「ある日の早朝、一階のリビングで父が新聞を読んでいると、息子がドタバタと階段を降りてきた。そういえば今日は少年野球の試合があることをすっかり忘れていた。息子はすでにユニフォームに着替え、その表情はやる気に満ちている。父は慌てて支度をしたが、どうやら試合開始の時間に間に合いそうにない。」

 

さて、この文章で時制の扱いはどうなっているでしょう。「新聞を読んでいる」は現在進行形で、「階段を降りてきた」は過去形。「今日は少年野球の試合がある」は未来表現で、「忘れていた」と「すでにユニフォームに着替え」は現在完了形的であり、「やる気に満ちている」は現在形。「支度をした」は過去形で、でも「間に合いそうにない」は未来表現です。

 

このように、日本語は話し手の視点や登場人物の立場に立ったり、その時の時間軸に瞬時に移動したりと、ものすごく柔軟に時間の立ち位置を変えながら表現することに長けた言語です。

 

ですから「この形だから現在・過去・未来」という風に、動詞の形だけで時制を判断することはできません。もっと言えば、上記文中で「新聞を読んでいる」は現在進行なのか過去進行なのかという判断すら明確にはできませんね。

 

そう考えると、英語の発想がいかにシンプルなものかがよく理解できます。そしてその発想を知っていると、「時制の一致」という文法規則がいかに無意味なものなのかということもよく分かるのではないでしょうか。

 

 

「一致」とは「整合性をとること」

 

最後に、「時制の一致」は英語ではtense agreementと言います。tenseは「時制」ですが、agreementを「一致」と訳してしまったことがそもそもの問題であったように私は思います。

 

agreementとは「論理的整合性をとること」であって、「一致させること」ではないのです

 

「論理的整合性」というのは、時制に関しては繰り返し言うように、「常に現在を基準に決められるという論理を貫くこと」です。

 

「主節が過去形であれば従属節も過去形にする」のように、主節と従属節の時制を同じ形に揃えることが「時制の一致」だと勘違いしている生徒は多くいます。「一致」という日本語がもたらす最大の悪影響と言えるでしょう。

 

ですから、「時制は一致させるもの」ではなく、現在を基準に時制が決められたときに、結果的に「一致しているように見えているだけ」にすぎないのだということを知り、正しく教えてください。

 

 

時制でなくても、主語Iに対するbe動詞はam、Heに対してはis、Theyに対してはareを用いる、というように、主語や人称、数などに適切な動詞の形を当てはめることもagreementと言います。

 

英語の本質的な理屈に忠実に従うことが大事であって、そこから脱線してしまってはいけないということなのです。

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