関係副詞whereの幅広さと、英語の実使用に追いついていない日本の英語教育界

関係副詞whereの幅広さと、英語の実使用に追いついていない日本の英語教育界

生徒から次の質問を受けたことがあります。

 

「先行詞が場所を表す名詞でないthe gameなのに関係詞がwhereになっているのですが、その理由が分かりません。」

 

 

先行詞と関係詞の関係について、一般的には先行詞に応じて関係詞を使い分けると指導します。

 

先行詞が「人間」であればwho、「人間以外」であればwhich、「時」であればwhenなどです。
そしてwhereについては、先行詞が「場所」であればこれを用いる、と教えます。
(ここでは副詞としての機能面の話は割愛します)

 

もちろんその教え方は適切であり、決して間違ったことではありません。

 

しかし、先行詞と関係詞の関係がそのように分かり易いものばかりでないことがあり、特にwhereにおいては、その汎用性の高さからほとんど無制限と言えるほどあらゆる先行詞が幅広く許容されることは知っておくべきです。

 

 

確かにthe placeやthe house、the parkなどのような、明らかな物理的「場所」を表す先行詞を関係副詞whereで受けることが基本です。

 

the house where my sister lives「私のお姉さん(妹)が住む家」とか
the park where he plays soccer「彼がサッカーをする公園」などが分かり易いですね。

 

当然私たち指導者もそのような分かりやすい例文を用いて教えるわけですが、「場所」の考え方は実際にはもっと幅広く抽象的なことを含む場合も多く、物理的な場所でなくても、話し手や書き手が「場所のイメージ」としてとらえているものは全てwhereで受けることができるのです。

 

別の言い方をすれば、ある先行詞に対して関係副詞whereを用いることを選択するかどうかの判断は、その先行詞を「空間的な認識でとらえるかどうか」という、話者の心理に影響されるということです。

 

 

上記の質問の場合、先行詞はthe gameで、これは「家」とか「公園」のように明確に分かりやすい「場所」ではありません。

 

将棋やチェスやトランプなどを指してthe gameと言っているのであれば、普通はこれらを物理的な「物」としてとらえるはずです。

 

しかし、ゲームそのものを単なる物質としての「物」ではなく、「何らかの行為を行うための空間」、たとえば将棋やチェスの駒を動かしたり、トランプのカードを置いたり裏返したりするための舞台、つまり「遊ぶための場所」としてのとらえ方をするとき、その認識がwhereに結びつくことになるのです。

 

 

先行詞the timeすらwhereで受ける

 

このように関係副詞whereは、話し手や書き手が対象(先行詞)を「空間的な場所のイメージ」でとらえてさえいれば、様々な先行詞に対して柔軟に用いることができます。

 

極端なことを言えば、ちょっと信じられないかもしれませんが、先行詞がthe timeやthe ageであっても関係副詞whereでこれを受けることすらあります。

 

たとえばthe time / age where the dinosaurs lived「恐竜が生きていた時期/時代」という使われ方です。

 

これは時間の流れを線で表したときに、遠い過去の時期を「その時点」という時間軸上の点、つまり「空間的な場所」としてとらえているためです。

 

数学の数直線をイメージしてみてください。数直線上の点Pや点Qなどの記号で表されるポイントは「場所」ですね。
それと同様に、時間軸上の点も場所という発想で認識していると思ってください。

 

「時間さえも場所のイメージでとらえている」からこそ、たとえ先行詞がthe timeやthe ageであったとしてもwhereは抵抗なく使われるのです。

 

 

ただ、このようなwhereの使われ方や汎用性の高さについては日本の参考書や学校の授業ではほとんど教えられることはないでしょう。

 

しかし実際には、the time where~やthe age where~は口語でも文語でも普通に使われるということは心得ておくべきです。

 

現実的な問題としても、この生徒の質問はある難関大学の入試問題で実際に出題された英文からのものでした。
難関大学の入試問題では、より本質的な英語の理解が求められているということなのかもしれません。

 

 

実際の使用に目を向けた学びと指導を大切に

 

正直なところ、上記のようなwhereも含めて、参考書の内容や教師の知識が現実的な英語使用に追い付いていないことは多くあります。

 

whereのケースではありませんが、ときには文法的に間違えている(と本来はみなされるべき)はずなのに、現実に英語ネイティブスピーカーたちが広く一般に用いているからという理由でほとんど正式に受け入れられている語法や表現も少なくなく、こうした現状に日本の英語教育界はまったくと言っていいほど対応できていないのです。

 

ネットが普及して世界中の多様な英語話者が相互にコミュニケーションを図ったり、スピードと簡潔さが求められたりする今のような時代には、今までは考えられなかった英語表現が生まれたり、既存の文法が(良くも悪くも)歪められたりすることはもはや当たり前のようになっています。

 

詳しくは別に記事を書くつもりですが、私たち指導者は、書物や参考文献を用いた伝統的な学びを基本としつつも、一方では「実際のところどうなのか」という視点に立って柔軟かつ現実的に英語を見つめなければならないことをしっかりと理解し、日ごろから英語ネイティブスピーカーの声に耳を傾けることを忘れないでください。

 

そして現実的な英語使用を分析し、きちんと説明できるようになってください

 

とりわけ大学受験の世界では、いまだにまるで現実に即していない英語知識が問われたり、実際にはもはや有益とは言えないような英語を求められたりすることも少なくありません。

 

指導にあたっては、生徒たちは将来的に英語話者となることを見据えて正しく導いてあげてください。

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