英語の授業だけでは英語力は向上させられないという現実を知る
英語の授業はもちろん生徒の英語力を向上させるためにあるものですが、授業で生徒に満足感を与えることを心がける反面、指導者であるあなた自身が、生徒の英語力が伸びた実感を得られずに悩むことがあるかもしれません。
自分の授業で生徒がなかなか伸びないことで必要以上に悩んでしまう指導者は意外と多いもので、私もかつてはその一人でした。
分かりやすい解説や活発な活動を促す取り組みを心がけているにも関わらず、生徒の成績が思うように伸びなかったり、スピーキングや英作文のテストをしてみても想像以上に生徒は話したり書いたりすることができないという現実に戸惑ったものでした。
生徒からの反応も良く、「解説が分かり易い」、「活動が楽しい」といった声がたくさん聞こえてくるのに、どうして生徒の英語力が向上しているという実感が持てないのでしょうか?
それは、生徒が「授業だけで満足してしまっているから」です。
生徒に満足感を与えすぎる授業には落とし穴がある
周知の通り、英語力は「技能」ですから、スポーツや楽器の演奏などと同じで訓練が必要です。
競技のルールや楽譜の読み方を覚えたところで、訓練しなければ技術は上達しないように、文法の知識や読解の方法論などを教えたところで、これをアウトプットさせたり、同じことを反復練習させたりといった訓練に繋げられなければ英語力も向上しません。
技能を高めるための訓練には膨大な時間が必要で、授業時間だけでは圧倒的に足りません。
確かに英語教師であれば誰でも、単なる知識を教えることだけでなく、発音練習や音読練習、ペアワークなどの活動を授業で豊富に取り入れることを心掛け、それも含めて完璧な授業を目指しているはずです。
しかし完璧な授業を受けることができたという満足感によって、生徒が「今日の英語の学習や練習はもう十分だ」と思ってしまうことが、彼らの英語力の向上に待ったをかけてしまうのです。
授業を通じて生徒が理解したことや身に付けた力は、その時点では満足に足るものであったとしても、その後の訓練に繋げられなければ確実に消滅します。
生徒の英語力が伸びない原因は授業の中ではなく、授業の外にこそあるのです。
逆に言えば、生徒の英語力は授業の外で伸ばさなければならないのです。
私たち指導者は、50分間という限られた一コマの中だけで生徒を伸ばそうとしてはいけません。
家庭などで生徒が主体的に行うべき学習方法や訓練方法をきちんと示すことを授業における重要な目的の一つとして位置付け、ときには強制してでも授業外での訓練の必要性を訴えなければなりません。
授業で行う発音や音読練習などの様々な活動は、それ自体が訓練というよりも、「授業外での訓練のための方法論を学ばせるための活動」と心得ておかなければならないのです。
例えば授業中に行うChorus Reading、Buzz Reading、Shadowing、Look up and Sayなどの活動は、英語を習得する訓練という観点からは、時間があまりにも不足しています。
それよりも、音読の重要性を認識し、音読の種類によって何をターゲットにしているかを生徒に理解させることの方が、学校外での語学学習においてははるかに有益です。
そして何よりも大切なのは、授業外で生徒がたっぷりと時間をかけてこれらの訓練を繰り返すという努力をすることなのです。この家庭学習のモデルを示すことが、授業において重要なポイントとなります。
生徒を指導できる時間は呆れるほど短い
学校の英語教師が生徒たちを指導する時間は、中高一貫校で中学1年生から高校3年生までの間継続したとしても6年間しかありません。しかし6年間も継続して同じ生徒を教えることは非常に稀なことで、現実的には1年から長くても3年間程度です。
さらに、毎日起きている間ずっと隣に付き添って指導するわけではなく、週に2コマから多くても5コマ程度しか授業時間はありませんから、直接的な指導時間の総数は厳密には呆れるほど少ないものになります。
このことからも、生徒に英語の知識を定着させ、技能を高めさせるためには授業だけでは不十分過ぎるということが想像できるのではないでしょうか。
生徒が満足することのできる授業を組み立てることはもちろん大切にしつつ、本来目指すべき技能としての英語力の向上のためには授業だけでは不十分であるということを指導者自身が十分に理解し、生徒たちにも同じように理解させ、50分間という枠を超えた広い視野で生徒にどのような訓練をさせるか、ということを考える姿勢を持ってください。
あなたの指導が正しいと証明してくれる生徒は必ずいる
授業外での訓練の重要性を述べてきました。しかし中には、いくら訴えても強制しても、授業が終わった後ではなかなか力を入れて取り組むことができない生徒が少なからずいます。
何百人もの生徒を担当するわけですから、ひとたび教師の視界から消えるとこれ幸いにと英語のことなどすっかり忘れてしまう生徒がいても不思議ではありません。
彼らも取り込んで、一人残らず同じように訓練をさせることは理想的ではありますが、現実的には難しいものです。
意識やモチベーションなどのメンタル的な部分はもちろん、他教科の学習状況や宿題の量、塾やクラブ活動との兼ね合いなどが、生徒の英語の訓練時間を減らしてしまう原因となることもあり、英語教員の工夫だけではどうにもならないことはあります。
英語の訓練は、個々の意識や努力に委ねなければならない側面も持っているため、全ての責任が指導者にあるとも私は考えていません。
もちろん訓練をしない(できない)生徒を見捨ててしまってはいけませんし、そうした生徒には何らかの手立てを提供する必要がありますが、彼らに対してあなたが悩んだり落胆したり、あまりにも重く責任を感じ過ぎたりする必要もありません。
ただ信じて、熱意を持って指導を続ければいいのです。
卒業を迎えるころ、英語力の飛躍的な伸びを実現した生徒に、私は決まってこう尋ねます。
「英語力を伸ばすためにどんなことが役立ったのだと思う?」
すると、ほぼ例外なくこう答えが返ってきます。
「ずっと音読を心掛けてやってきたことです。」
あなたの信念にしたがう生徒は、絶対に伸びます。
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