英語教師は登山ガイド

英語教師は登山ガイド

学習者が英語習得を目指す道のりをどのようにとらえておられますか?

 

英語力の向上と最終的な習得を目指す道のりは、たとえるなら登山と同じようなものではないかと私は考えています。

 

それも、ふもとからてっぺんまで大きくらせん状に回りながらゆっくりと一歩ずつ登る長旅の登山です。

 

ふもと近くの広い部分には土台となる無数の単語や文法の基本事項などが転がっていて、その一つ一つを拾い上げながら歩を進め始めます。

 

てっぺんの狭い部分に近づくにつれ拾い上げるべき単語や文法項目の数は減りますが、より高度で、ときに難解な英語が待ち受けています。

 

ふもとからゆっくりと、ときには休みながら力を貯え、着実に上に登るほどにゴールに近づき、その実感と貯えた力がラストスパートへのエネルギーとなります。

 

こうして、英語習得という名の山頂目指して登り続ける、そんな登山と言えるのではないでしょうか。

 

 

登山における指導者の役割

 

生徒たちは不慣れな登山に挑戦中で、山に詳しい私たち指導者は彼らにとってのガイドです。

 

登山に必要な道具を揃え、装備を整え、道中で拾い上げたものの名前や扱いを教え、彼らが転んだときは傷を手当てし、忘れ物があれば一緒にふもとまで取りに帰り、水がなくなれば補給する。

 

無理に歩を進めさせるのではなく、ときには来た道を戻って安全を確かめ、再び上へと一歩を向けることも大切であると教え、ゆっくりと、しかし確実に彼らの歩みに寄り添うこと。

 

英語指導に置き換えれば、教材を揃え語彙の意味や用法、文法などを教え、生徒が間違えたときはこれを正せるよう導き、覚えられないものやすっかり忘れてしまったことがあればまた戻って教えなおす。

 

応用や難しいことばかりに目を向けさせず、基礎基本を大切に、そこから応用への一歩を踏み出すことの大切さを教え、少しずつ力をつけていく生徒のそばに寄り添うこと。

 

これがガイドの仕事なのだと思います。

 

 

一方、登山者たちはガイドの付き添いのもとで、拾った花を図鑑で調べ、毒があると分かれば同じ花は拾わないでおこうと、その花の名前と共に学習するでしょう。
雪を溶かして飲み水にする方法を学べばその知識を必要な時に使うことができるようになるでしょう。
見慣れぬ動植物は何だとたずね、鳥のさえずりに耳を傾け、その正体を知りたがるでしょう。

 

そして登るにつれて見える景色は広がり続け、いずれ頂上でその美しさをひとり占めできたとき、登って正解だったと喜ぶことができるでしょう。

 

これを学習者に置き換えれば、単語を調べその用法を学んだり、習った文法を活用して英作文をしてみたり、分らないことを尋ね英語の響きに耳を傾けたりしていく中で英語を身に付けていく、ということでしょう。

 

 

そうして英語を自分のものにできたとき、てっぺんで眺める景色は広く、残した足跡は確実に努力という名を残し喜びを生むのです。

 

 

このような意識で、私たち指導者は生徒たちの英語学習に寄り添う必要があるのではないでしょうか。

 

 

ガイドとして大切なこと

 

そしてガイドとして大切なことは、生徒たちに英語習得への一歩を踏み出すのは登山者である生徒たち自身でしかないということを自覚させるとともに、指導者はそのためのガイドとして存在していることを理解させることです。

 

「英語が苦手だ、分らない」と言っている生徒ほど、登山は死活問題だというのに図鑑を使わず、拾った毒花をいつまでも持っていたり、雪の溶かし方も分からないのに水を欲しがったり、ひどい場合には登山はしたいが坂道は登りたくないと、怠けたり矛盾したことを言ったりしている人が多いように感じます。

 

しかしガイドがいくら適切に指導をしても、登山者自身が他人を頼りに甘えたり欲張ったりして、自ら足を踏み出そうとしなければ登頂などできません。

 

まさか登山者を背負って登ることなどできませんし、そうして登ったところで嬉しくもないでしょう。

 

この自覚は非常に重要です。

 

 

豊富な授業や上質な教材があるからと言って、それだけで英語が身に付くことは絶対にありえません。

 

優れた装備があれば登山の成功を保証してくれるわけではないのと同じです。

 

私たち指導者はあくまで装備を整え、自分の力ではどうしようもない問題にぶつかったときに案内し、ときに背中を押したりはするけれど、あくまでサポートする存在でしかありません。

 

装備を持って歩を進めるのは自分の足でしかないことをしっかりと自覚させてください。

 

 

努力はしているはずなのにそれでもなかなか力がつかないという生徒は、ガイドである指導者のサポートを求めずに道を誤ってしまっているケースがほとんどです。

 

学習者単独による学びというのは、素人がガイド無しで登山に臨むのと同じように、往々にして道を踏み外しやすいものです。

 

ですからそのような生徒にはガイドのいない登山の危険性を教えてください。

 

 

登山者とガイド、学習者と指導者という関係を互いに理解し、山頂を目指すことができるよう、その大切さをしっかりと認識し、指導者としての立場を間違えないようにしてください。

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