英語に関して、分からないことや疑問に思うことを納得いくまで追究する

英語に関して、分からないことや疑問に思うことを納得いくまで追究する

当たり前のことですが、英語を指導する前に、私たち指導者がまず英語を学ばなければなりません。

 

指導者自身が学習者でなければ何も教えることはできないからです。

 

そして学習の過程では、分からないことや疑問に思うことが必ず出てきます。

 

(何も疑問に思うことがないようであればそれは明らかに学習不足です。十分な学習を積んだから何も疑問に思わないのではなく、疑問に思うはずの事柄に到達するほど学習に取り組んでいないと私は考えています。英語と真剣に向き合っていれば、分からないことや疑問に思うことには絶対にぶつかるものです。)

 

ときには生徒からの質問で回答に困るようなものもあるでしょう。授業の準備(予習)やテストの採点をしているときにふと疑問が浮かぶこともあるでしょう。

 

そうしたとき、その答えを自分なりに理解し生徒に説明できるようになるまで追求することができることは、指導者としての知識量を増やすばかりか、信頼に足る指導者としての資質を高めることにもつながるという点で、非常に大切なことです。

 

別項で、in order to doとso as to doの違いについて解説しています(クリックすると「目的を表すin order to doとso as to doの指導のポイント」の記事が読めます)。その中で、so as that~のasが歴史的に脱落したものが、目的を導くso that~であることを説明しているのですが、この知識は私自身、生徒からの質問によって獲得したものです。

 

ある日の授業中、生徒が手を挙げて、

 

「in order to doがin order that~に書き換えられるのなら、so as to doもso as that~のように書き換えることはできないのですか?」

 

と訊いてきたのです。

 

なるほど確かに言われてみれば、とは思ったものの、うまく説明できるだけの知識が足りなかった私にはその場ではどうすることもできませんでした。

 

これがきっかけとなり、so as that~という表現の歴史的経緯を学ぶことに繋がりました。

 

質問への答えを用意することができた私は、すぐに次の授業で説明しました。
すると生徒はなるほどと納得してくれましたし、「わざわざ調べてくれてありがとうございます」とも丁寧に言葉を添えてくれました。

 

このような経験は実のところ何度もあります。

 

その度に自分で調べたり、他の教員や英語を専門とする方々に尋ねたりする中で多くの知識を獲得し、生徒への指導に生かしてきました。

 

その姿勢は今でも変わらず持ち続けています。

 

 

 

英語に関して分からないことを放っておいたり、うやむやにしたりしてしまってはいけない。

 

分からないことに直面したときにやってはいけないのは、生徒の前で格好をつけようとするばかりに、確信もないのに安っぽい回答に逃げたり、話を逸らしてうやむやにしてしまったりすることです。

 

 

実際に私も目撃したことがあるのですが、ある先生の授業を見学していたとき、説明の途中で生徒が手を挙げて質問をしました。その先生がどのように答えるのかと期待していたら、「今はそれは関係のない話だから」と言って何の説明もなくそのまま授業を続けたのです。

 

授業の後、私はその先生に「とても良い質問が出ましたね」と声をかけてみました。すると「いや、実はあれよく分からなくて・・・」と返ってきたのです。

 

その後もその先生は質問をした生徒に答えを用意する様子もありませんでした。それでは生徒はいつまでもモヤモヤとした気持ちを抱えながら過ごさなければなりませんし、適切に回答してくれなかった指導者への信頼も失ってしまいます。

 

 

授業中に生徒に質問を投げかけられ、その答えが分からない場合、素直に分からないと認めることが大切です。

 

「先生にも分からないことはある。ただし次の授業までに必ず調べて来るから待っていて欲しい」と伝え、これを実行することが正しい対応なのです。

 

 

生徒の質問に答えられないことや分からないことがあることが生徒の信頼をなくすことではありません。

 

答えられないことを答えられないままに、分からないことを分からないままに放置してしまうことが最も信頼を失わせ、指導者としての成長を阻んでしまうのです。

 

それなのに、プライドのためか自分の知識の外側にあるものを煩わしいと思うのか、誰かに尋ねたり自ら調べたりしようとせず、自分の限られた英語観の中だけで授業を行ったり、生徒をその中に縛り付けたりしようとする指導者は少なくありません。

 

自分が知っていることが英語と英語指導の全てではない、ということを知ることが根本的に大切なのです。

 

 

 

他の英語教員(英語を語る人なら誰でも)の発言を常に良い意味で批判的に分析する

 

納得いくまで追求するために大切なもう一つのことは、批判的な分析力です。

 

私たち指導者の知識の大半は、学校でかつて受けてきた英語の授業をはじめ、参考書や教科書の指導書、市販の英語関連書籍や図書館の蔵書といった文献などを通じて培われます。

 

英語の映画のセリフや音楽の歌詞などから学ぶこともありますし、実際の海外滞在経験や英語のネイティブスピーカーとのやり取りの中で学ぶこともあります。

 

また、身近にいる同僚の教員や自分が過去にお世話になった指導者や専門家の方々からの意見や考え方によって学ぶこともあります。

 

知識だけでなく、指導の方法論や授業で使える様々な工夫なども学び取ることができます。

 

しかし、それら全てが絶対に正しいものだとしてはじめから何の疑いもなく受け入れてしまうことは避けるべきです。

 

言語の根は深く、それゆえに知識も多様であり、受け取り方や解釈の仕方によって理解の仕方も変わることがあります。

 

たとえばある参考書で説明されていることが、別の参考書では違った解釈で説明されているといったようなことです。
(例:I suggested that she should watch the movie.といった文中におけるshouldは「省略可」なのか「挿入可」なのか、といった違いなど)

 

指導する方法論もまた生徒個々に応じて本来は変わるものであり、一見すると優れた指導法も、生徒によっては全く機能しないこともあります。

 

得られた知識、考え方や方法論を全て正しいものとするのではなく、それらを自分なりに比較検証し、納得のいく答えを見つけるようにしてください。

 

他人の知識をただ諾々と受け入れたり、逆に乱暴に批判したりするのではなく、比較検証する際の材料として活用し、最終的に自分が最も受け入れられる理解を手にすること。

 

これもまた、自らの知識量や力量を上げるために大切なことです。

 

 

 

もしもあなたが「分からないことが出てきたらどうしよう」「生徒の質問に答えられなかったらどうしよう」「自分の知識量は足りているだろうか」と不安に思っていたとしても、それは決して恥ずかしいことでも駄目なことでもありません。

 

真摯な態度で英語と向き合い、真剣に追求する気持ちと姿勢を忘れない限り、あなたの指導者としての知識と力量は向上するばかりであり、生徒にとって頼れる存在としてい続けることができるのです。

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